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2009年09月

ひそひそ話?

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090925
いつもは仕事用のパソコンモニターの上に飾ってある、張子のお人形‥とでもいうのでしょうか?
ちょっとユーモラスな表情をした3人組です。
子供がまだ小学生だったころお土産に買ったものです。
女子美同窓会長野県支部総会に出席した帰り、たしか下諏訪の「御宿まるや」脇のお店で買いました。
まるやの女将さんが当時の支部会長さんでその方が集めたものが置いてありました。
すぐ目が合い、娘がいかにも好きそうと思ったので迷わず買いました。
秋の夜長、居間のテーブルにこの子達を置いて
水性ペン(PIGMAの0.2mm)で描いて水彩絵の具で色を付けました。
大きさは、うさぎの耳を入れても10.5cm。
なんだか今にも井戸端会議を始めそうなので、耳を澄ましながら描きました。
はてさて何を話しているんでしょうか?
<COTMANスケッチブック F4>

シロ

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090920
もう3ヶ月以上も前になります。
6月7日午後、シロは16歳でお空に旅立ってしまいました。
5月の連休前から耳が聴こえづらくなり眼もどのくらい見えているのか、
一気に老犬になってしまいました。
でも歳を取るのは自然の摂理、ゆっくりのんびりやればいいじゃないのと
散歩も時間をかけゆっくり歩き、ドックフードもシニア犬用のなるべく良さそうなものに替えました。
亡くなる10日ほど前に歯茎から出血してかかりつけの動物病院で診て貰ったのですが、
その時はその対応に抗生物質を出してもらっただけで、
獣医さんには「心臓に雑音があるので弱っているのは確かだけど‥、まだ大丈夫でしょう。
しっかり運動もさせて下さい。」と言われました。
しかし日に日に衰えて肩で息をしているのを見るにつけ、大学生になり家を離れている娘には
「この夏は越せないかもしれないから覚悟だけはしておきなさい。」と電話で伝えました。
しかし当の自分はその場信じられずうろたえ眼が腫れるほど泣きました。

シロは臆病だけれどたくましい野性を持った犬でした。
小さい体を張ってこの玄関ポーチで我が家の見張り番をしてました。
もちろん頼んだわけではありません。犬小屋はちゃんとあるのにいつもこのポーチに居ました。
そして蝶々を見たり、大抵はまるで薄くきったハムを二つ折りにしたような格好で、
どでーんと何の警戒感もなくグーグー寝てました。
小さい時厳しい環境で育ったからでしょう警戒心の非常に強い犬でしたから、
その無防備なサマを見ると娘も私もささやかな幸せを感じたものです。
家の警備と家人の見送り出迎えが自分の仕事と思っているようで、
私の車の音ははっきり聞き分けていましたし、
出迎えでは喜びが高じて体当たりされ何度“膝カックン”をやられたことでしょう。
自由に動けるようにリードははずしていましたが、散歩も家の敷地から一歩も出ようとしなくなり、
薬を隠した一口のドックフードしか食べず、
10日分の薬を飲み終えた日は最後を悟ったかのように水すら口にしませんでした。
それでも、その亡くなる前日私が車で出て帰りが思いがけずあたりが暗くなる時間になってしまい
「シロどうしてるかしら?」と心配しながら帰って来ると、
家の敷地の際で往来に顔をのばし私が帰ってくる方向を心配そうに見ている姿がありました。
いつからそこにいたのでしょうか。
ほとんど食べてないのにポーチから降りてトコトコ往来の際まで出てきて
ヨロヨロの足でふんばって立って待っていたのかと思うと
「アンタが私を心配してドォスンノォ~」でした。
16歳といえば犬では高齢になるのでしょうし、
娘の2度の受験の折も何の心配もかけず良い子で留守番をしてくれ、
娘は念願の獣医学課に合格できました。
出た人が家に帰るのを見届けるのが自分の仕事と思っていたシロは
5月の休みに大学生になった娘に会い、ほっとして役を降りたのだと思います。
私は小さな足音が聞こえなくなりひどい喪失感でしたが、
ある日ふいにぽっかり空いた胸のある場所にすとんとシロが入った気がしました。
”あぁシーちゃん、そこに来たんだね”って、はっきり思ったのです。
少し前の元気だった頃の写真を見ながらゆっくり描きました。
<アルシュ A3 細目>

「辛くないから‥」

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090908
さすがに9月に入ると風も涼しくなり、しのぎやすい毎日ですね。
この唐辛子は先月8月の下旬に友人の庭さきに育ったものを貰ったのですが、
友人は「これなんだろう?しし唐っていうの?全然辛くないんだよ。食べてみて」と
見るからに辛そうな真っ赤なのを採ろうとするので、
辛いものが苦手な私は「だめだめ、辛いのは無理!」と止めると、
彼女は独特の絶望的な言い方で「‥だから、辛くないの」と。
ちなみに彼女は大の辛党。大なんてもんじゃないくらいの辛いもの依存症です。
ともかく色がとてもきれいなのでありがたくいただいてきました。
つまりまだ辛いかどうかわかりません。でも辛いと思います。そんな匂いがします。
実はその日、彼女の家の近くに私の卒業した中学校があるのですが、
今の校舎を壊して新しくすることは図面等も出回っているので知っていましたが、
そこで「今おもしろいことやってるから来ない?」と突然呼び出されたのです。
「あ~この間ニュースでやってたスケッチ会の発表会ね~?」
「そうじゃないの!、どう言ったらいいかわからないけどおもしろいから!。」で、
卒業後一度も入る機会がなかった母校に出向いたのですが、
これがすごく良かったです。
『2009さくらびアートプロジェクト』。
学校が主体ではなくて、この長野市立櫻ヶ岡中学校の美術の先生が
美術を選択教科で取っている生徒と自分の母校である武蔵野美術大学を中心に大学生に呼びかけて、
“廃校舎で何かを表現する”ということをやったわけですね。
特に私は新設校としての初めての1年生だったわけですから感慨もひとしおで、
在校生の気持ちでちょっと文化祭のような1階の部屋部屋をのぞきました。
上の階に行くにつれ、やはり美大生のパフォーマンスは洗練されていて、
校舎を渡る風や夏の終わりの日差しも手伝って、
「中庭はこんなに狭かったのかしら」とか「渡り廊下は〇〇××‥」とか遠い時間の思い出がスパイスになって、
とても素晴らしい空間に感じました。
(傑作の最たるものはもちろんこれをやろうと思ったこの中平先生の発想でしょうけど‥
独壇場そのもののポスターが良かった!)。
写真は当日配られた団扇型パンフレットです。
sakurabi-a
暑い日でした、残暑って中学校に似合いますね(変ですか?)。
あー、それにしても悔やまれる、N君やT子は知ってたんだろうか‥。
皆行けば良かったのになぁ。
で、なんだか楽しくなっちゃって、その日の夜、良い気分で思ったように好きな色でスケッチブックに描きました。肝心要のトウガラシ?部分の色を着けずじまいでしばらく経ち、
緑色のものまですっかりまっ赤っかになってしまいましたが、
まぁ元気が出そうなカンジに仕上がって良かったです。
<COTMANスケッチブック F4>

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